今、六本木アートナイトから変わること。
東京が地方に学ぶ“逆輸入”の時代。
日比野(以下、H) 伊東さんは今治や陸前高田などで地域を巻き込む活動をされていますが、六本木に限らず、街の中におけるアートの役割というものについてどうお考えですか? ここ20年、地方でアートを軸にした取り組みが増えてきているなかで、僕はアートと街の関係でいえば、首都・東京の六本木アートナイトの方が逆輸入的なものになっているのかなと考えています。
伊東(以下、I) 今回、日比野さんが陸前高田から炭を焼いて持って来られるとお聞きしました。僕は昨年、陸前高田で“けんか七夕”を見たんです。最初に、まちを訪れた時には何もなくなってしまったまちなのに、七夕まつりが行われたという話だけを聞いていた。そして昨年現地で見たら、極彩色の山車が、かつてまちを練り歩いたのと同じコースで、本当に何もないまちを動くのを見て、失われたまちの記憶が祭りによって継承されているのだとしみじみ感じました。どこの被災地でも今、何もないまちで祭りだけが行われているといいます。東京では街で展開する大きなアートの祭りがなかったから、六本木アートナイトには、逆輸入的な意味合いがあるのでしょうね。特に若い人たちにとっては。
H 最近、気になっているのは、若い子たちがお花見をするようになったことです。僕が学生だった頃、お花見はおじさんのものだった。でも今は、若者が積極的に、自然や伝統をきちんと肌で感じるようなことをやっているように思います。
I 先日、二川幸夫さんの民家の写真展へ行ったら、若者で溢れ返っていました。僕らが感じていた“民家”はいまや“MINKA”になった。今は地方が元気で、そこから何かが作られる時代。完全に逆転現象が始まっていますね。だから今回、地方からの元気を六本木に持ってくるのは、タイムリーなのではないかと思います。
H アートナイトは一晩だけだからこそ、一晩という時間が刻々と過ぎていくのをきちんと意識しようというのを今回のテーマにしています。年末、長良川で見ていただいた《こよみのよぶね》のように、僕は川や船を、時間の経過や流れていくものを表す象徴として捕らえています。アートナイトはそのアイコンを六本木のまちなかに持ってきて回遊させる試みですが、伊東さんは船に対してどんなイメージがありますか? 船大工ではないから船はつくれないのかもしれませんが……。
I 僕は諏訪湖のほとりで育ったので、小さい頃よくモーターの船を作って遊びました。沖へ行ってしまった船を漁師のおじさんに漁船を出してもらって探してもらった記憶もあります。95年には諏訪湖博物館も設計しましたし、自分の建築には曲面を使うことが多いので、とりわけ船については思うところがありますね。建築と船は結構近い。バックミンスター・フラーも、船は建築の原型だと言っている。僕は船の持つ“動く/流れる”というキーワードも好きです。いつも空気や水が流れているような建築をつくりたいと思っていますから。
H “アートブネ”は“TRIP=移動すること”を最大のテーマとしています。その受け止め方は人それぞれだと思いますが、伊東さんと畠山直哉さん率いるみんなの家チームの船は、どんなものになりそうですか?
I そもそもアートナイトというから美術館巡りでもするのかと思ったら、日比野さんから与えられたお題が船で、しかも、引き回すというからビックリしました(笑)。炭火を燃やす灯台の周りを船が回るなんて、本当にお祭りの山車をつくるわけですね。だから僕らは、陸前高田の“けんか七夕”をヒントに、最初は震災で立ち枯れした杉を使って10メートル以上も高さのある船をつくりたいと話していました。でも、それだと引き回すのは無理なのであきらめたのですが……。
H 実際、陸前高田の祭りでは、山車を引き回しているんですか?
I 杉の丸太を山車にくくりつけて、引き回してぶつけ合うそうです。それをまちなかでも海上でもやるらしい。昨年、僕が見たのは7メートル近くある大きなやぐらに真っ赤な極彩色の飾りをつけた陸上の山車でしたが、海上では10メートル以上の高さのものもあるそうです。今回、僕らは竹を使って、もう少し小ぶりの船をつくります。竹を何本か縛り付けて、そこに飾り付けをした正しく七夕のような山車になる予定です。
「みんなの家」とは?
建築家が結集し、被災地のために考案・設計。
東日本大震災で避難所や仮設住宅での暮らしという、いわば極限状態での暮らしを余儀なくさせられている人たち。彼らのために、伊東豊雄、山本理顕、内藤 廣、隈研吾、妹島和世ら、建築家が考案し設計した、被災地のための共有のリビングルーム。無味乾燥で非人道的な生活のなかでも、テーブルを囲んでの食事やミニコンサートなど、何らかの交流を交わそうとする彼らに向けて、より人間的で、美しく、居心地の良い原始的な共同の建築を提案するものである。これまでに6軒が完成し、2012年11月、陸前高田市にも竣工。木造2階建てで約30平方メートル。柱には、津波の塩害で立ち枯れした地元の杉19本を使用している。
「動く/流れる」を設計すること。
H 岐阜出身の僕から言わせれば、今、伊東さんが取り組んでおられる図書館を中心とした複合施設《みんなの森 ぎふメディアコスモス》には、今後50年の岐阜の運命がかかっているんです。
I 今年の夏前に着工、2年で完成する予定です。波打つ木造屋根の新しい工法は話題を呼ぶと思いますし、環境と自然エネルギーを融和させ徹底的に利用するという点でも、未来的な建築になると信じています。
H 通常、建築家の仕事は実施設計までで終わりですが、伊東さんは設計の意図を生かせるよう、建物だけでなく組織をどう動かすかにまで目配りしているのがすごい。それこそ、人がどのように“動く/流れる”のかという部分ですよね。六本木に話を戻すと、普段、訪れる人がどれだけ動いているかというと、そのエリア自体はかなり狭い。目的の美術館へ行って地下鉄で帰るパターンが圧倒的ではないかと思います。アートナイトで“動く/流れる”きっかけを作れればと思っているのですが……。
「単なる美術館巡りとは全く違うエネルギーを感じる」
I メディアコスモスは書庫が渦巻状に配置されていて、そこに本の閲覧スペースが点在していて、中心から渦を巻いて外へ流れ出すコンセプトになっています。六本木にも今回、港に見立てている美術館など、いくつかの中心がありますよね。まさしく船を介在して、それぞれのスポットがひとつのネットワークになっていくのを何十万という人たちが体験することになるでしょう。僕は人の少ない週末の朝、犬を連れて六本木を歩きますが、あの界隈は緑のネットワークもあり、坂もたくさんあって飽きないんです。今回はそういう朝の光でなく、たった一夜のインスタレーションで六本木がネットワーク化される、それを日比野さんがアートとして定義されるのも面白いですね。鑑賞だけを主体とした美術館巡りとは全く違うエネルギーを感じます。
H 人が動いているのを可視化するため、提灯行列なども企画しています。人の流れをつくった上で、時々、船を動かしたり。“動く/流れる”というキーワードで六本木で“TRIP”したい。
I 楽しみですね。建築もこれからは出来上がった建築よりも、どのようなプログラムを組んでどのように多くの人と関わりながらデザインしていくか、そのプロセスの方が意味を持つ時代になるでしょう。大半の建築家はいまだに結果としての建築表現に固執している人たちばかりですが、そこを今、変えなければ。陸前高田を始めとして被災地を通して、未来の建築の在り方を考え直す、絶好の機会だと思います。
文:大池明日香
伊東豊雄
建築家。
1941年京城市(現・ソウル市)生まれ。
東京大学工学部建築学科卒業。菊竹清訓建築設計事務所勤務を経て、1971年に独立。住宅建築などを経て、1986年横浜に《風の塔》、2001年《せんだいメディアテーク》、2005年《MIKIMOTO Ginza2》、2007年《多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)》、2009年《2009高雄ワールドゲームズメインスタジアム》(台湾)などを設計。2011年には、愛媛県今治市に《今治市伊東豊雄建築ミュージアム》をオープン。現在進行中のプロジェクトに、今年岐阜市で着工予定の《みんなの森 ぎふメディアコスモス》がある。